人生の位置情報について

休日に駅のターミナル側に行くことはほとんどないんだけど、今日は用事があってそっち側に行ったら、ターミナルのデッドスペースみたいになってるところに位置情報ゲームをプレイしてると思わしき老若男女が無秩序にぞろぞろと立って、みな一様にスマホの画面を操作していた。

実はみんなめちゃめちゃ出会い系やってる可能性もゼロではないけど、真っ昼間だし、交番の目と鼻の先だし、複数の端末を並べて同行者と語り合ってるおじさんとかいたし、さすがにそんなに朗らかなものではないだろう。それとも俺が知らないだけで、出会い系ってみんなこんな朗らかなんですか?

まぁ位置情報ゲームをやってると断定した上で話を進めるけど、位置情報ゲームをプレイする集団の姿って、宗教っぽいなと思った。天から降り注いでくるバイナリで書かれたドグマティックな指令をスマホで受け取って解釈し、その内輪の価値観で日々の行動を動機づけられているわけだ。これが生きがいになり人々をつなげ、精神や身体の健康改善にもいくらか貢献しているなら、立派に宗教としての外形を整えてるのではないか。

あとはまぁ、人間にとっての究極の問い、生死の問題に答えられるようになるかどうかが大きな分水嶺になりそうである。人はいかに生きて、死んだらどうなるのか。まだまだスマホアプリは「生き方」は規定できても、「死んだらどうなるか」にはなかなか答えられそうにない、というか答えようというモチベーションはなさそうに思える。

まずは「プレイヤーの墓」は露骨すぎるので、「プレイヤーの思い出」みたいなものがマップに表示されるようになるところから手を付けてはどうか。死を悟ったか、死去が確認されたプレイヤーのライフログがゲームに刻み込まれ、他のプレイヤーがそのログ参りができるようになる。楽しかった、美しい思い出だけがゲームの中に残されていくわけである。スマホの画面しか見ていないプレイヤーも、ゲームを通じて他者の記憶をたどり、「人格」に触れることができるようになる。世を去るプレイヤーも、ゲームが続く限り忘れ去られることがない。

これ、どんなもんですかね。書いててなかなかイケるサービスなんじゃねという気がしてきた。宗教法人の取得方法を反社関係の記事から学習してこようかな。それもこれも世のため人のため。反社を通じて社会貢献。宗教は突き詰めれば究極的にはカルティックになり一般社会と対立せざるを得なくなるのだから、似たようなもんだ。

人生の行き先という彼岸の問いからしたら、穏健な「社会」の知見はさほど役には立たない。いくらかの逸脱は仕方がない。なので全人類の動向を監視しているマザーコンピューターも、この日記をもって俺を危険人物とみなすことのないように。よろしくお願いしますよ。

ヨドバシエクストリームサービスに対するには真理の力を必要とする

ネット通販はせいぜい月に1度、使うか使わないかぐらいなのだが、その中ではヨドバシドットコムを使う比率が高い。

ヨドバシドットコムで買うとヨドバシエクストリームサービスという職歴に加えたいサービス名第一位の自社サービスで配送してもらうことができる。そしてこの配達員さんの接客態度がとてもよい。接客教育に力を入れておられるんだなというのが伝わってくるのだが、それ故に心苦しい。

だって、戸別配送の仕事でそんなにしょっちゅう楽しい想いをすることはないんじゃないかと思うんだよな。ましてや俺ん家に届けにきても、くたびれたおっさんがぼそぼそと受け取りに出てくるだけだもんな。FANZAとかDLsiteとかでそういうフェチコーナーはないでしょ? たぶん。俺の目の前に立つ労働紳士は自分の感情を曲げ、コルセットのような教育の外骨格に身体をねじ込んでいるのだと思うと、申し訳なさが先立ってくる。

いや、俺自身でもむちゃくちゃなことを感じているのはよくわかっているのだ。サービスを受ける側として、接客態度がよいことのデメリットなど1つもない。俺が勝手に心の中で煩悶して、勝手に苦しんでいるだけのことである。俺が自らの心を律し、迷妄を断ち切らなければならない。色即是空空即是色。真理を悟る知の力で、第三次産業が高度化した後期資本主義社会をサバイブしていかなければならない。

犀の角のようなぶつかりおじさん

長らくその実在を疑っていた「ぶつかりおじさん」の実物を見た。

混雑してる朝のターミナル駅を歩いていたら、前方を歩いていた作業服のおじさんと、別方向から斜めにクロスしようとしていた女性が左肩をぶつけあった。俺から見る限りは女性がやや無理めに突っ込んできたように見えたので、ぶつかったこと事態は気にしなかったんだけど、おじさんがぶつかったことに一瞥もくれずにグイグイと直進していった(女性は肩の辺りをちらりと見て、そのまま歩きさって行った)ことがやや気にかかった。

同じ改札に向かって前方を歩いていくおじさんを何となく注視していたら、おじさんの更に前方を歩く別のおじさんに、やや斜め後ろから割り込むようにぶつかって、別おじさんを押しのけるかのようにそのまま改札を通って出ていったのでびっくりした。別おじさんを押しのけた主おじさんはやはりぶつかったことを全く気にする風でもなく、力強い足取りで淡々と別路線の入口の方へ歩いていった。

いわゆる「ぶつかりおじさん」って、他の人にわざとぶつかるように歩く迷惑行為だと捉えられているけれど、主おじさんはわざとぶつかるというより「目的地に向けて最短の経路を採ることが当然である」かのように歩いていて、ぶつかったことに気づいてすらいないのではないかと思えるほどの唯我独尊ぶりだった。最初、おじさんが弱視で周囲の様子がよくわかっていないのではないか? と推測してみたけど、それだけではぶつかった後にも全くそのことを気にしないことの説明がつかない。

別に肩をいからせて、そこのけそこのけとノシノシ歩いているわけでもない。ただ単に「前に歩みを進めること」にしか関心がないかのようだ。少なくとも外観からは悪意は感じられない。俺は何となく原始仏典の「犀の角のように1人進め」という言葉を何となく連想する。当時の言葉のニュアンスはよく知らないが、「犀の角」という、打ち合わせれば武器にもなるような身体部位と、おじさんの確信に満ちた、しかし自然な身振りのタックル(?)が重なり合う。

まぁ、別におじさんの身振りを肯定しようという気はない。普通に迷惑だと思うし。しかしあんな歩き方はおじさん自身にも絶対に面倒を引き寄せてると思うんだけど、どういうことなのだろうか。俺の中では全然結論が出ない。この文章は日記なので戸惑いを戸惑いのままリリースしようと思う。

毒物ナイフ日記

最近は自転車でコワーキングスペースに通っている。途中に線路を渡るポイントがあって、そこは駅前なので歩行者専用のスペースになっており、「自転車は押して通りましょう」と注意表示がデカデカ出ている。自転車ユーザーはだいたいそれを無視してるんだけど、俺はちゃんと守って押し歩きしている。

ルールだからとにかく守ってるとかそういうことじゃなくて、朝は通勤・通学客で混雑してて、確かに押して歩かないと危険だし、どうせスピードも出せないからそうしている。夜は朝ほど混雑しないけど、飲み屋の客引きがいて、これが突発的かつランダムな方向に動くのでかなり危ない。なので押して歩く。

飲み屋の客引きは法令によって禁止されてるけど、その客引きが道路交通法違反行為を抑制しているのである。これぞ「毒をもって毒を制す」。

まぁ、制されてるの俺だけっぽいけど。となるとちゃんと自転車押し歩きゾーンで自転車押して歩いてる俺が毒だってこと? 周囲の安全に無関心な道路交通法違反者はただの道路交通法違反者だってこと?

「道路交通法違反者」は単なる事実だけど「毒」呼ばわりはチクチク言葉が過ぎるんじゃないですか? 学校や職場だったら完全にイジメじゃないですか?

何も悪いことをしていないのに、ただ日記を書いただけで、毒物扱いされてこんなに傷つけられることがあったのか。言葉はナイフなんだな。あらためて大いに反省した。

台風が来る前に反省してほしい

駅のデジタルサイネージに壮年男性のキャラクター(以下、ソウちゃんと呼ぶ)が映し出されて、フキダシで「台風が近づいてくると計画的に電車を止めるけど、なんで?」と質問してたので、マジか? と愕然とした。

思想・信条の自由を差っ引いても、こんな質問を平気で口に出して発話する人間と社会を共有し、こんな質問に対する説明責任を果たさなければならないのだろうか。

次に表示された駅員さんのキャラクター(以下、エッちゃんと呼ぶ)も、こんなどうしようもない質問に対して、「乗客の皆様の安全を守るために計画的に運休しています」という当たり前すぎる回答しかしていない。

もちろん、何らかの理由で正常な判断力を失っている人が疑問を持つことだってあるだろう。しかしソウちゃんの質問に注意してほしい。「台風が近づいてきている」「鉄道会社は、計画的に運休している」という事情までは理解できているわけである。

これらの前提情報が把握できていないなら質問が珍奇になるのも仕方がないが、ここまでわかっててエッちゃん程度の回答が導けないのは、刺殺体の前に血まみれの刃物を持った人物が立っているのに、「一体誰がこんなひどいことを?」と発話しているレベルに等しい。これじゃあ社会という名の2時間ドラマが全然先に進まないだろうが。

もうこれはソウちゃんの質問の言外に意図があるとしか判断できない。「ワシの若いころには、台風なんかで電車は止めなかったぞ」ということであろう。はい生存者バイアス乙。自然災害でなくたって長時間電車が立ち往生して乗客に被害が及ぶ事例だって数多く発生してるんです。首都圏はエリアをまたぐ直通運転が増えて、局所のトラブルが広範囲に拡がる可能性も高まってるんです。認識がアップデートできてない人は思想再教育を受けてきてください。エッちゃん、収容所への直送列車を案内して!

あーあ。鉄道会社が架空の人物にうかつな質問をさせたばっかりに、架空の人物が架空の強制収容所に身柄を拘束されて、架空の人権抑圧が発生してしまったよ。鉄道会社はこんなQ&A形式をとらずに、もっと自信を持って「お客様の安全を守るために、計画的な運休を行います」って言い切ってほしい。そうすればこんな悲劇は発生していなかった。反省してください。

類人猿のフリみて我がフリを反省した

ここのところ諸事情あって「ゴリラの知識が必要だなぁ」と思うことがあり、タイトルに惹かれて買ったまま積んでた、河合雅雄『ゴリラ探検記』を先週末読んだ。

で、今日、ゴリラの知識を活用するタイミングがあったんだけど、周囲の反応は微妙というか、かなりどうでもよさそうだった。

もしかして、俺にゴリラの知識が必要だと思っていたのは、世界でただ1人、俺だけだったのだろうか。

それなら、良いよね。

ナンバーワンになれなくてもいい、もっともっと特別なオンリーワンになれと著名な詩人も書いてたしね。正に類人猿の研究をすることでヒトが啓発されたことになるね。

それは意図したわけではないけれど、事故啓発ってわけだね。

セキュリティ日記

今の今まであんまり深く考えてなかったんで、全然昨日の話を今日書くんだけど、昨日町中を歩いてたら、サッカーボールをネットに入れた部活中学生みたいのが歩道いっぱいに横に拡がってチンタラ歩いてたので、チンタラ歩くのはともかく、横に拡がるんじゃないよ、と老害オーラを全開にしたまましばらく歩いてたんだけど、今考えたらアレ、ワールドカップの日本戦をやってる時間帯だったんだよな。ワールドカップの日本戦を見てないサッカー少年なんかこの世に存在するのか? あれはもしかしたら外国のスパイなのでは? 早くスパイ防止法を制定しよう! 我が街から貴重な情報が盗まれてる! 何らかのやつが! ということを今になって思った。

眠れる俺の街

あまりにも眠すぎる中、労働してたので「あまりにも眠すすぎるのに労働がんばってエラい手当」を付けてほしかった。

でも成果物の精度とか速度はかなり低下してると思うので、プラマイゼロかも知れない。

駅のホームに、マイケルジャクソンくらい反り返りながらホームに落ちようとしてる人のイラストに「危ない!!」というキャプションのついたポスターが掲示されてたけど、俺もこのインディーズマイケルジャクソン並に落ちかねないぐらいグラグラしていた。

良いのか、俺という眠れる獅子を街に解き放ってしまっても。

手当を払って、大人しくさせておいた方がいいんじゃないか。

いっぱしの経営者なら、それぐらいの損得計算は働くだろう。

次に会う時まで、よく考えておくんだな。

本日のメッセージ

今日、飲酒しながら「飲み屋に現れた怪人」の話を聞いておもしろかったんだけど、たぶんその怪人はわざとやっているので、エゴサーチとかやってそうなんだよな。個人的にはあまりお近づきになりたくないタイプの怪人だったので、この日記を探し当てられても困る。なので怪人の様子については一切何も書きません。

「中身を何も書かないなら、怪人がどうとかそもそも書くなよ」と言われるかも知れないが、インターネットに情報を求めてるんなら、Google検索のAIモードとか何とかしろよ。あいつら平気な顔で中身のない作り事のウソ情報を「要約です」っつって持ってくるだろうが。GAFAMの社屋に火炎瓶を投げたことがある者だけが、この日記ブログに石を投げなさい。

今日みなさんにお伝えしたかったのは、それだけです。

常連・電子レンジ・ぶん殴る

いつもと違う時間帯にスーパーに行ったら、結構混んでいた。俺の並んでるレジの列がなかなか進まんな、と思ったら、レジにつながってる自動精算機(レジには店員さんがいるけど、支払いだけを自動精算機で行う)2台の内、1台でおじいちゃんがゆっくりゆっくり精算している。もう一方の精算機がどんどん回転して、俺が精算し終わって袋詰め台に移ってもまだ精算している。

その内精算機でエラー音が鳴った。振り返って見たら、レジの店員さんが身をひるがえしてノールックでおじいちゃんの精算機のタッチパネルをピッピッと操作し、戻っていった。店員さんもおじいちゃんも一言も口にしない。目線を合わせることすらせず、どちらも何事もなかったかのように落ち着きはらっていた。

これ、「よくあるエラーを無造作に復旧した店員さん」と「何が起きたかよくわかってないおじいちゃん」の間の没コミュニケーションのようにも見えるけど、一方で「いつも同じエラーを起こすことも踏まえた上での常連おじいちゃんに対する手慣れた対応をする店員さん」と「いつも同じエラーが起こるのでもはやエラーとも思ってないおじいちゃん」の常連間の人間的コミュニケーションのようにも見えたんだよな。

「いつもの」と発言するまでもなく、いつもの酒がいつもの飲み方で出てくるバーみたいな感じ。

俺が袋詰めを終えて、店を出ていくぐらいのタイミングで、おじいちゃんは何事もなかったかのように精算を終えていた。

出力とタイマーが壊れて、ほっといたら直った電子レンジがまた壊れた。また出力とタイマーが調整できなくなった。

でも2回目なのでもう慌てない。加熱したい時間をスマホのタイマーで計ればいいだけだ。前と同じ対処で問題ない。

だいたい、電子レンジが壊れたこと自体、以前にも聞いた微妙な異音ですぐに気づけた。ある意味、俺と電子レンジのコミュニケーションはバッチリだ。連携に何の支障もない。

昨日、仏教学じゃなくてもっと実践的な仏教の本を読んでたんだけど、電子レンジぶん殴るのって仏教的にはダメなんだろうか。人や動物をぶん殴るのはアウトだけど、物だよ。

ウチの電子レンジはコンピューター入ってなさそうな機械っぽいシンプル電子レンジなので、昔のテレビみたいにぶん殴れば直りそうな気もするんだよな。異音ってのも「ダイヤル式タイマーのゼンマイがちょっと調子悪い」みたいなカタカタ音が出てるだけなんだよ。うまいこと殴ればカチッとはまって元に戻りそうなのだ。

片づけの仕方ひとつとっても、自我を入れないとうまくいくのです。

――たとえば、どういうことですか?

たとえを挙げてみましょう。

何かを動かす時、「この物が、どこに置かれたいか」「このコップはどこに置かれたいと思っているのだろうか」と、物の気持ちになって動かしてみるのです。

「自分が」物を片づけようとするのではありません。

主語は自分ではなくて、物です。

アルボムッレ・スマナサーラ『スマナサーラ長老が道元禅師を読む』

電子レンジがぶん殴られたいと思ってはないと思うけど、ちょっと部品がズレてるだけだと思うんだよな。本当ならていねいに分解してあるべきところにはめ込むべきなんだろうけど、素人に迂闊に「外科手術してほしい」とも思わないだろう。ちょうどおじいちゃんが肩たたきされるようなもんだよ。外装が丈夫だから「ぶん殴る」格好になってしまうだけで。

まぁ、物の側の問題はクリアできたとしても、自分自身の問題としてはどうか。上の本では徹頭徹尾、自身の問題を自身の問題として引き受けよという話をしている。たとえ対象が「物」だとしても「ぶん殴る」行為が自分を損なうことになるのではないか。

機械と仏教に詳しい識者の導きを受けたい。

本日の日記日記(ママ)

昨日日記書いたと思ってたけど書いてなかった。普通に晩飯をしっかり食って、風呂入って、洗い物して掃除して、眠気を覚えて早めに布団に入って朝までぐっすり寝ただけだった。

日記ブログなんてやってない方が生活が充実してるということにならんか?

ということを今日考えた、という日記をブログに投稿します。

わんぱくでもいい。たくましくやっていく。

カップ麺開けたら、麺以外には「先入れ」と書いてある粉末スープだけが入ってて、「これってレトロニムだな」って思ったけど、普段全然使わない「レトロニム」とかいう概念はすっと脳から引き出せるのに、よく職場で顔を合わせる同僚の名前がスポッと抜け落ちたりするよ。老だよ。

老と言えば、最近インターネットでおっさんのファッションの見苦しさの話が話題になってたらしい。ちょっと見に行ったら、「このレベルでダメなのか」と愕然とさせれられるレベルの話をしていた。もはやおっさんが肌をさらしてる時点で見苦しいらしい。

他人に好かれないまでも邪険にされないレベルでひっそり生きていこうと思ってたが、もはやそれも叶わないらしい。だって夏は暑いから半袖短パンでいたい。湿度が低く直射日光の強い砂漠地帯なら長袖長ズボンのスーツスタイルにも合理性があると「MASTERキートン」で読んだけど、あいにく日本は高温多湿だからね。

そっちがそう来るなら俺も害を振りまく覚悟を決めてやるよ。別に好かれようという気だってないからな。この夏は老害スタイルで決まり! 半袖短パンで周囲(若者)に差(分断)をつけチャオ!(日記終わりの別れのあいさつとかかっている)(おもしろハイセンスダジャレ)

ドパおじの俺を反省する

『完全版 最後の角川春樹』というインタビュー本がおもしろかった。角川春樹についての知識がないから、伝記としてどうかということはわからないけど、見開き2ページに1個は必ずオモシロ逸話が挟まっていて、全然飽きなかった。

とはいえ、俺は「角川映画」はもちろんのこと、映画一般、小説一般をあまり鑑賞しない。「起承転結」とは限らないが、フィクションのドラマはどうしても「タメ」があって、それが煩わしく感じちゃうんだよな。

それで言うとノンフィクションや学術の方が短いサイクルでオモシロを味わえる。「ドパガキ」って物言いがあるけど、俺は脳の報酬系がそっちにカスタムされちゃったドパおじってことになるかも知れん。

そういや、資格の勉強をしなきゃいけないので、クイズアプリ風になってる問題集をスマホにインストールしてあって、クイズに取り組み始めると夢中になっちゃうんだよな。アプリを起動するまでは億劫なんだけど。これもドーパミンパワーか。

一昔前はこういうの「ゲーミフィケーション」て呼ばれてたと思うけど、ともかくあんなに労働のことを憎んでるのに、ちょいとクイズをかまされると途端に労働についての勉強をしちゃうんだから我ながらチョロすぎる。

こんなにチョロかったらいくらでも偏った思想を吹き込まれそうだよな。というか今だって吹き込まれまくってるのかも知れない。思想の偏りを測るには、こうして日記を書いて公開しておくのが効くだろう。俺の思想が偏ってたら読者が教えてほしい。新しい俺を作るのは、モニターの前のあなたたちです。

人類はおっさんの伝記を読まされすぎている

素敵な女性と親しくなることには興味があるけど、素敵な女性と親しくなるアニメ・マンガ・ゲームに全然興味がないので、その手のネット広告には「興味なし」をバシバシ押していく。

素敵な女性と親しくなるアニメ・マンガ・ゲームを遠ざけて何をやっているかというと、休日を半日つぶして政治家のおっさんの権力闘争についての本(伝記)とかを読んでいるわけである。

いや、違うんだ。言い訳させてほしいのだが、日本においても海外においても、政治史を読むということは必然的におっさんの権力闘争の歴史を読むということになってしまうんだ。それはこれまでの世界の歴史が男性中心的に回っていたということなんだ。

だから21世紀の権力闘争はもっと女性にも開かれて、おばさんの権力闘争の本が増えると良いよね。高市首相の総裁選における中傷動画スキャンダルについても、そういう意味では応援しています。

すべてがCになる

「コンビニのトルティーヤチップスを砕いたのとオニオンサラダをミックスして、ツナとチーズをかけたやつ」が美味いという話を見かけて、早速試してみたら、美味い。あまりスナック菓子って食う習慣がなかったんだけど、これを知ってから週2ぐらいでやってしまう。

元々、ココスで一番好きなメニューがトルティーヤ生地にアボカドサラダとサルサソースがかかった「タコサラダ」で、他のファミレスでもどんどんパクって欲しいなと著作権海賊意識を密かに燃やしてたぐらい、しょっぱクリスピーなやつとフレッシュなサラダの取り合わせが好きなのだ。

しかしオニオンサラダはファミリーマートぐらいでしか見かけないし、一袋食べるともんやり胃が痛んでくる。トルティーヤチップスもちょっと割高だしな、と思って「オニオンサラダでなくても千キャベツで大丈夫では?」「トルティーヤじゃなくてコンソメ系のポテトチップスでいいのでは?」「チーズが入ってるシーザードレッシングかければ楽なのでは?」とマイナーチェンジを進めていった。

千キャベツの袋のほうが大きいから、そこに砕いたポテチを入れてドレッシングをぶっかける食べ方にしてたんだけど、ポテチの袋からキャベツの袋に流し込むのがやや難しい。もう丼にキャベツを移して、上からポテチとドレッシングをかければいいのでは? と更にマイナーチェンジを進めようとしたところ、キャベツを盛ったらそれで丼いっぱいになってしまい、ポテチとドレッシングをかけたら崩れそうになった。仕方なくキャベツのかさを減らすため、千キャベツだけをむしゃむしゃ食っている時間が発生した。

これまで千キャベツってそんなに好きじゃなかったんだけど、コンビニの千キャベツって割に柔らかいし、甘味も感じる。俺はもう千キャベツを食ってたらいいんじゃないか。

キャベツのかさが減ったところでポテチとシーザードレッシングをかけたら、元のサラダの美味さに意識を引き戻された。マイナーチェンジを突き詰めすぎると文明を失う危険があるのだ。思ってもみないようなところに深淵が存在するのである。