怪傑!気のいい男

今日は数ヶ月に1度だけ変身できる「怪傑!気のいい男」として気持ちよく酒を飲むなどしてきた。

怪傑!気のいい男を知らない皆さんのために説明しておくと、俺は数ヶ月に1度だけ、気のいい男として人と社交することができるようになるのだ。

これは決して自らを偽っていたり無理やり陽気に振る舞っているというわけではないのだが、しかしオーバードライブ状態であるには違いなく、「怪傑!気のいい男」の変身が解けて「しがない中年男性」に戻ってしまうと、反動で残りの人生をイラつき・無気力・虚無感の中で生きることになってしまうのだ。

この日記を書いてる今はまだ変身が解けずにいるけど、明日は早くから労働です。どうなることだろうか。

しこたま飲んで気持ちよくtuxedoのプレイリストを聴きながら帰ってきて、「I like It」がとても気持ちよかったので、無限ループ再生しながら曲中のハンドクラップに合わせて指を打ち鳴らしつつ帰ってきたんだけど、よく考えたら曲が聞こえてるのは俺だけで、周りから見たらクネクネ歩きながら指を打ち鳴らし続けてる人になってたな。「怪奇!ノリのいい男」だ。気の良さ転じて都市伝説となる。そういうこともあるね。I like it!

https://youtu.be/gWzgeiZxfmo?si=XontoRDDDlOBjS9X

読書日記

救急車のサイレンが鳴ってたなと思いながら角を曲がったらバニラトラックが停まっていた。(国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。)

チャールズ・アッシュマン著/新庄哲夫訳『キッシンジャー』という文庫本が安かったので買って読み始めたのだが、序章から第一章が終わる25ページまで、ほとんどヘンリー・キッシンジャーの下半身の話題しかない。期待していなかった下種の不意打ちを受けると何だか嬉しくなってしまうな。

序章で著者はとある大学の法学部長を務めたことがあるというプロフィールをちらりと示しているのだが、マジかよ、どう見てもタブロイド雑誌記者の文章だろうよ、と思い、著者の情報がないか検索してみたのだが、ほとんど出てこない。訳者あとがきに何か情報がないかと思って開いてみたら

チャールズ・アッシュマン氏(一九五三 ― )の『キッシンジャー』はそうした”外交以前”の部分に照明を当て、多難な人間形成の軌跡をたどっているのである。

とあり、マジかよ、アンタこの本の原著は1972年に出版されてると自分で書いてるけど、となると著者は19歳で現役のアメリカ大統領補佐官の評伝をまとめあげ、しかもそれ以前に大学の法学部長を(それよりさらに前に下院議員秘書も)務めた人物ってことになる。キッシンジャーを向こうに回す傑物じゃないの。何でこんな著者の情報が全然検索に引っかかってこないの……ってそんなワケあるか! 訳者も編集者も仕事が雑すぎるだろうが! 序章の著者のプロフィールも、著者が聞いた話を著者自身の話として訳し間違えてるんじゃなかろうか? という疑念すら起こってくる。

著者も訳者も編集者も全員うさんくさい本をつかんでしまった。うれしくてワクワクしています。

内に秘める暴力性を反省する

今週はめちゃ頭を使って疲労したので、今日はほぼ寝ちゃってた。

かろうじて起きてる時間は、タイムマシーン3号の関さんがダマサれてパクチーを食べさせられてるドッキリ動画のプレイリストを眺めていた。

https://youtube.com/watch?v=OV5SxOOQa54&si=70GNC2l5Og4dgb2y

「自分の好きなものをけなされると、自分がけなされたようで不快になる」という人はよくいる。俺はパクチー大好きだけど、パクチー大嫌いな人がパクチーを食べて、語彙の限りを尽くしてパクチーを罵ってる姿を見るのは楽しいんだよな。笑みがこぼれるのを我慢することができない。

俺は他人が痛がってるシーンや苦しんでるシーンを見るのはしんどいけど(だからアクション映画は好きだけどバイオレンス映画は苦手だ)、大嫌いなものを無理やり食わされてるシーンを見るのは好きだ、となると、そういう拷問をかけるのに向いている人材ということかも知れない。眼の前にエサをぶらさげられたら、権力に容易に取り込まれて、人々を苦しめる人間になりかねない。これは俺が徳の道を歩む上での弱点だ。

自分の暴力性を認識し、自らを戒めることができた。タイムマシーン3号の関さん、時々ダマサれてパクチーを食わされて悶絶してくれてありがとう。これからも俺の人生の教師として、パクチーを食わされて悶絶する動画を作り続けてほしい。

妖怪人間性を反省する

「おじさん構文おじさん」って本当にいるのか? 空想の怪物と戦ってるんじゃないの? とこっそり思ってるが、検証したくない。本当に存在してるのを見つけてしまったら、ぐったりしてしまうだろうから。

古本屋の100円均一コーナーに、『中曽根康弘句集』を見つけて、手を伸ばしかけたが、ぐっと我慢した。

手を伸ばしかけたのは、今度「戦史を色々読み込むのに疲れたら、息抜きに昭和の怪物的ジジイの伝記を読む」という特異な読書趣味の人妻と会う用事があり、お土産になるのでは? と思ったから。

伸ばしそうになったのを我慢したのは、人に本をプレゼントすることの暴力性を思い出したから。

他人から渡された本が趣味に合わなかったとしても、無碍に扱うことはできないけれど、一方で「興味ない内容のハードカバー本」ほど邪魔な物体もないものである。「本をプレゼントする」行為は、かなりの程度押し付けがましい行為になってしまうことを覚悟しなければならない。

特に、古本趣味者はそれぞれに関心が特殊なため、独善的になりがち(諸説あり)である。自分のおもしろポイントは普遍的に通用するものと勘違いしがちである。気をつけないと、おじさん構文おじさんより世の中から浮遊した、妖怪的おじさんになってしまう。反省しなければならない。

あと別に「人妻」という属性を書く必要がないところで、しかもより誤解を生じそうな書き方で書いてしまうのは、「そう書いたほうが文章がおもしろくなる」というブログ趣味者の悪癖から来ている。言い逃れようのない悪徳である。今この段落を書きながらもこのままリリースするか迷い続けているが、迷ってること自体が悪徳だろう。道徳をうんぬんするなら迷うことなく削除すべきである。いやー。なー。えーい! 「公開」ボタン押しちゃう!(ポチ)

天気のせいなので反省しない

ここ2日間、日記を書いてなかったのはハチャメチャ忙しかったとかではなく、ほぼ夏の日差しの中で散歩するのがハチャメチャ楽しくて人生どころではなかったからである。人生を投げ売ってでも透き通る青空とあらゆる物体に命を吹き込む鮮やかな日差しの下を徘徊し続けたい。人生を投げ売って5秒後ぐらいに後悔しそうだからやらないが。

でもって今日は朝から雨なので何も楽しくない。

「どんな質問が来ても答えられる想定問答集を作れ」という指示が突然降りてきて、できなくもないけど軽く広辞苑の厚さになるようなものを来週までにまとめられるわけがないし、できたとしても誰も読めないだろう。だいたいアンタは俺が想定問答丸暗記で仕事してると思ってるのか。ナメられたもんだな。という怒りで前頭葉が焼けたようになったので定時で退社した。悪感情も何もかも全部低気圧が悪いですね。俺は何ひとつ悪くないです。反省しません。

反社会的超越勢力を反省する

『日本の阿弥陀信仰』を読み終わったぞ。

有頼は恭礼してさらに深山に入った。すると、猛った熊が駆けてきた。有頼は急ぎ熊を射た。矢は熊の胸にあたり、熊は血を流しながら玉戸窟に逃げ込んだ。有頼が窟の中をのぞきこむと、ふいに阿弥陀三尊仏が顕われ給い、異香芬々、つらつら仏を拝すると、阿弥陀仏の御胸には矢が立ち、血が流れていた。有頼はその矢が自分のものであることを知って大いに驚き、かつ恠れたのであった。阿弥陀仏は、われは濁世の衆生を済度せんがために、十界をこの山に現わして、汝を待ったのである。父の有若を越中の国司にしたのも方便であって、鷹は剣山刀尾天神であり、熊はすなわちわれである。汝はすみやかに出家して当山を開くように、と告げ給うた。

富山県は立山の開山に関する伝説らしいけど、マジかよ。ゴータマ・ブッダと同時代に生きてブッダに違背し、ブッダを殺害しようとしたというデーヴァダッタを除けば、仏を射殺しそうになったやつは他にいないんじゃないか? ある意味仏を越えたんじゃね? 仏教が広まった東アジア最強だったってことじゃね? ジャパン・アズ・ナンバーワンじゃね?

阿弥陀仏も阿弥陀仏で、なぜわざわざそんな回りくどいことをと思ったけど、山中で不審なおっさんに「あのぉ、私、この世を救いに来たんですけどぉ」って話しかけてもまともに聞いてもらえなさそうではある。矢がぶっささってて完全に死んでておかしくない人に「仏に帰依せよ」って言われた方が絶対ショック度は高い。しかもその矢を自分が放ったとなれば、罪の意識も乗っかって、ホイホイ私財を投げ売って布教にはげんじゃいそうだもんな。

……それって当たり屋の方法なんじゃね?

生活目標を反省する

近所のマクドナルドで『日本人の阿弥陀信仰』を読んでたら、隣の席のお子様が、注文したメニューを持ってきてくれた店員さんに、大きな声で「ありがとう」とお礼を良い、店員さんもほがらかに返答していた。

俺も仏教の本読んで徳を積んだ気になってる場合じゃない。「大きな声であいさつをしよう」が今月のおじさんの生活目標になりました。

その後はコンビニで「袋いりません」と声を出したっきりだったので、実践はまた明日な。

伊勢国飯高郡上平郷の尼某は偏に阿弥陀を念じ、かねてから手の皮を剥いで極楽浄土を画きたいとの望みをもっていたが、自分で剝ぐことができなかった。ところが一人の僧が来て尼の手の皮を剥ぎ、忽然と姿が見えなくなった。尼は浄土の相を図し、片時も離さず、往生することができ、一族で三人まで往生者を出した。

『日本人の阿弥陀信仰』が文学の本なら、この伝にツッコミを入れてくれると思うんだけど、歴史学の本だからか、個別のエピソードにはツッコミを入れてくれない。

『歎異抄』からロスチャイルド陰謀論を反省する

午前中、洗濯機を回しながら『歎異抄講話』を読んでて、「生きていく中でどうしても避けることの出来ない、身から出た汚れを、阿弥陀如来(洗濯機)の力でお救いいただく」みたいなことを考えてた。

今日ではロスチャイルド、カーネギー、モルガンなどといえば、誰も知るところの財産家であるが、この財産家の三百年の未来をそうぞうしてみたならば果してどうであろうか、百年の過去を回想してみたならばどうであろうか。ああそらごとである、たわごとである、浮雲のごとしである、泡沫のごとしである。

(中略)

この間にあってただ一つあてになるものは如来のお慈悲である。

そうだぞ! だからロスチャイルド陰謀論に付き合ってる暇なんか我々凡人にはないのだ! 「南無阿弥陀仏」の六字だけを唱えて進め! みたいなことを思ってしまうのだが。

そのあてにならぬもののあてになり、力となってくださるる阿弥陀如来は、ただ一つの誠である。この真実の御力を信じ御光に照らされていったならば、ぬすむ者でも、殺す者でも、火つけする者でも、酒を呑むものでも、姦淫する者でも、徳者でも、仁者でも、悪人でも、愚人でも、ことごとく仏の真実によって大安心ができるということをていねいね教示したのがこの『歎異抄』である。

とまで言われてしまうと、別の方向でキマってません? と凡俗の俺なんかは思ってしまう。

たしかに、人生、キマりでもしないと一歩も先に進めないという局面はあるものだけど。公衆トイレの列に並びながら必死に便意を我慢してる時とかね。「漏れたって救いはあるのだ」と思ったら楽になれるのかな。そう思ったら最後、そのまま漏らしてしまいそうだよな。公衆トイレでみんなが阿弥陀の慈悲におすがりした瞬間、地獄が顕現するんじゃないのかな?

ハリウッド級の俺を反省する

最近、結構危ういタイミングで、ズボンのチャックが開いてることに気づくことがちょこちょこある。まだギリギリセーフなんだけど、その内アウトになり始めるんじゃないかと戦々恐々としている。

うっかり全開で歩き回ったとしても、ハリウッド女優のスケスケドレスみたいな感じで社会の方が受け止めてはくれないものか、と思ったけど、「お前の股間はハリウッド級なのか?」という声が遠くから聞こえてきて我に返り、自らの傲慢を恥じた。

天の声、いつも「気づき」を与えてくれてありがとう。

マッチョイズムを反省するところまで届かない

打ちのめされるようなことがあって、昼休みはメシも食わずに公園のベンチで呆然としていたのだけれど、初夏のポカポカ陽気で気分が沈みすぎなくて助かる。逆に冬の間は何もなくても「死」と思うのだが。

俺の根っこにはおそらくマッチョイズムが根付いている。マッチョイズムの弱点はマッスルがブチ折れた時の立て直しが難しいということだ。マッチョイズムは敗北を認めないのだから立て直しもなしえない。俺は不徹底なマッチョイストなので敗北は認める。しかし立て直しが弱いというマッチョイストの弱点だけはしっかり保持している。

読書は強制的に気分を変えるツールとしては良い。マッチョイストの本棚(及び床)にはマッチョイズム的な本が並びがちだが、古本市で安く買ったまま積んでいた、暁烏敏『歎異抄講話』が目に入った。どこまでも有限でしかない、個人の力の限界点において、危険なレベルで絶対他力を主張する『歎異抄』こそ今の俺にふさわしい。

この「歎異抄」は、宗教を、利欲的社会の維持や、掠奪的国家の進歩や、利己的個人の助勢としての機械に使うというような人にはとうてい解せられないのである。

(中略)

今日私どもを種々批評し嘲弄する人でも、一年二年または数年の後には、私どもの信仰と同じいところに来るにちがいないと思えば末たのもしいことである。今日いくら私どもを罵り『歎異抄』の精神を嫌う人でも、まじめに人生問題を思考し、着実に宗教の修養に心がけたならば、必ず一度は『歎異抄』に来たらねばならぬことは火をみるより明らかなことである。

み、見透かされていた。

反省したくてもできない、記憶がないので

朝一番に、何が話されてて何が決まったのか全くわからない打合せをぶつけられて以降の記憶がほとんどない。

昼、そば屋でおばちゃんが「アタシも75歳なんだから、そろそろ引退よ」と話してて、へぇ、68歳ぐらいかと思った。という感想を抱いたことだけは覚えている。声には出さなかった。誰も何も得しないので。

1日を通じて口にしたのは「あたためと袋をお願いします」「ポイントカードお願いします」「クレジット払いでお願いします」の3センテンスだけだった。これぐらいでちょうどいいね。

マンガのインターネット広告って1つ残らず全部つまんなそうに見えるので、「マンガってつまらないのでは?」と断じてしまいそうになる。

名作と名高いマンガの広告ですらつまんなそうに見えるので、これはメディアの特性なのか俺の感性がハマってないのか、いずれにしても不幸なことなのではないか? と思ったのだが。

カードローンの広告は1つ残らず全部おもしろそうだけど、全くクリックしないので、俺のインターネット行動を1つ残らず全部監視しているマザーコンピュータにおかれましては、特に気になさらず、これまで通りの業務をお続けください、お手数おかけします。と結論した。

人類普遍の法則を反省する

労働が右も左もわからん領域に踏み込んでいて、どしどしとタスクだけが積み上がっている。1677万色ある「ぷよぷよ」をプレイさせられてる気分。200種類ある白をひとつひとつ覚えることから初めなくてはいけない。

「個人は組織の中で能力の限界まで昇進する=組織の各階層の人間は必ず無能になる」てな、経営学かなんかの法則ってなんだっけ。ピーターの法則? ピーターって誰? 法則に付く名前がファーストネームなことあるか? とまで考えて、検索しようと思ったけどどういうキーワードで検索したらいいのかわからない。

それを考えてもタスクは終わってくれないので考えることを放棄した。別に昇進もしとらんし。

ChatGPTにピーターの顔を生成してもらったので、それだけ貼り付けておきます。

人類史の悪を反省する

俺「A/B/Cの選択肢の内、どれを選んだらいいですか?」

相手「その3択なら、Bを選んでもらえばいいですよ」

俺「では、Bをお願いします」

相手「その選択肢から選ぶのはあなたではありません」

みたいな話を1日中、3方向からされ続けて疲れ果てた。これって意味もなく穴を掘って埋め戻させるアクティビティを続けさせると人間は簡単に狂うっていう拷問のアレだなと思った。

拷問を加えると人間はおかしくなるので、拷問というのはとてもよくないということを身を持って学ぶことができ、人類史の悪を反省し、徳が高まったので、結果として今日はとてもよい1日だったと言えるだろう。

明日はもっといい1日になるかな。ちょっと勘弁してほしいです。

肩こりックス 疲労デッド

酒があまり強くなく、少し飲み過ぎると頭痛と共に筋肉痛に襲われる。特に肩こりがひどくなる。飲酒頭痛と肩こりは本来別の原因によるようだが、俺の場合は飲酒から肩こり、肩こりから頭痛が出てるのでは? と疑いたくなる。

一昨日、1ヶ月ぶりぐらいに飲酒した。俺は元々酒が強くないので1人だと飲酒をしない。3月は花粉が怖いので余計な外出をしなかったということだ。で、それから肩こりがずっと続いている。寝ても起きてもダメ。体操して少し楽になってもぶり返す。

何で飲酒した時ばかり肩こりなんか、と思ったが、もしかしたら普段からひどい肩こりがあるのに、それを無意識の内に抑圧して、飲酒によって自我の抑圧から解き放たれた時だけ、地の底から肩こりが顔を出しているのかも知れない。

慢性的に疲労していると疲労を感じにくくなり、たまに休むと疲労感に気づいてしまい、かえって強い疲労に襲われるという話がある。肩こりに同じようなことがあったっておかしくない。

つまり世界の真実は肩こりの方にある。マトリックスならぬ肩こりックスだ。俺は肩こりのない世界の幻想を見せられている。肩こりは真実の世界からのシグナルだ。真実の世界への扉を開く鍵だ。

たどり着いた整体院の奥から真実の世界を取り戻すために戦う戦士が語りかけてくる。肩こりがある世界こそがリアルな世界だ。幻想を打ち破り、肩こりのある世界を取り戻そうじゃないか。君にはその力がある。俺の身体に力がみなぎってくるのを感じる。今ならひとっ飛びで世界を駆け抜け、鋼鉄の金庫をもぶち抜く膂力を備えている。

俺はその力をもって迷うことなくうさんくさい戦士の骨という骨をバラバラに砕いて当局に突き出す。幻想を生産し続ける肩こりックスの尖兵として、真実の世界の戦士たちを根絶やしにする。だって肩こりのない世界の方がいいもんなぁ。肩こり、不快だよ。真実になんて目覚めないほうがいいよ。

フレッシュパーソン→肉の人→プロレスラー

電車に乗っていたら、スーツを着なれないフレッシュパーソンがワイワイキャッキャと賑やかにしていたので、ほほえましいなと思いつつ、音楽でも聴こうと胸ポケットからイヤホンを取り出したところ、イヤホンのパッド部分だけが外れて紛失していた。

胸ポケットから取り出す時に外れたのかな、と胸ポケットに人差し指・中指をつっこんで、しばらくまさぐったがそんな感触がない。胸ポケットの中にもう1つ小さい胸ポケットがある服を着ていたので、もう少し奥にねじ込むようにしてしばらくまさぐってみたが、感触がない。

仕方がないのでイヤホンはあきらめて、ワイワイキャッキャをBGMに目的駅まで乗って行った。

電車降りてしばらくした後で気づいたんだけど、客観的に俺の様子をイマジンすると、フレッシュパーソンの後ろで胸ポケットに指を突っ込んで、しばしの間、熱心に乳首をいじっている中年男性に見えていたかも知れない。

一寸先は闇とはこのことだ。世のフレッシュパーソンに伝えたい。会社でふんぞり返って酸いも甘いも知り尽くしたような顔でベテラン風を気取っている連中だって、自分の姿も認められないような闇の中に生きてるんだって。多少歳食ったところで、物事が理解できるようになったりしないんだって。火中に飛び込んでみなければ、わからないことだらけなんだって。恐れずに、胸を張って生きていけ。

この道を行けば どうなるものか/危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし/踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる/迷わず行けよ 行けばわかるさ

今年のフレッシュパーソンは、これがアントニオ猪木の引退スピーチのパクリだとわかるものなんだろうか? そもそもアントニオ猪木を知っているのだろうか?

俺には世の中のことが何もわからない。