「昨日の日記で『ソリチュードなパーソン』と書いていたけど、solitudeは名詞であって、それを言うならソリタリー(solitary)なパーソンが正しいのでは?」
あんな壊滅した文に正しいも間違ってるもクソもない。本日の反省は以上。
「荷物取り置きしてあるから22日までに取りに来い」というメールが来てて、色々都合が合わなくて最終日の今日行くことになったのだが、行ったら店が改装してて営業してなかった。果たして俺の荷物はどうなっているのだろうか。何らかのペナルティが課されることはあるのだろうか。もう荷物が手に入るかどうかとかじゃなくて、純粋に知的好奇心として、こういう場合にどういうオペレーションがなされるのかに興味がある。ていうか依頼から1週間経ってしまって物欲はだいぶ収まってしまったんだよな。改装後にも買えれば買う。(行けたら行く、ぐらいの温度感)
「石橋を叩いて渡る」ということわざのバリアントとして、慎重すぎて機会を逃す人について「石橋を叩いて壊すタイプ」と表現することがあるけれど、俺はどっちかというと「どんだけ石橋を叩いたら壊れるか試してみたい」傾向がある。そっちに囚われた時点で「石橋を渡って向こうに行く」という目的が忘れられてしまう。今ぼちぼち遊んでるBorderlandsシリーズとかだと人体実験かますマッドサイエンティストとか出てきがちだけど、人体は色々と面倒事が増えるので、後腐れなく実験できるのは無生物の方だと思うので、ちょっとピントがズレてる気がするんだよね。客ウケを気にしすぎている。演出過剰気味。
昔「西村雅彦のさよなら20世紀」というテレビ番組があって、使い込んだモノたちに感謝するとかいう体で、要は最後に木っ端微塵に爆破する画を撮りたいだけの無意味番組だったんだけど、あれが「西村雅彦のさよなら20人」だったらやりすぎだと思いませんか? そういうことです。
今日はマジであんまり書くことが思いつかなかったので詭弁だけで日記を書いてみた。日記なのに詭弁って結構斬新な試みじゃないかな?