鉄道公安員・ヤミ米・スキー

昨日古本屋100円で買った本(渡辺公平『墨滴三十年』)をのろくさと読んでいた。交通関係の業界紙に載っていたコラムの抜粋らしく、初っ端が昭和23年(1948年)の「鉄道公安員を雇ったけど予算がなくて列車に乗せられない」という話題で、シビれて即買いしたもの。

はっきり言って文章は凡庸で、話題の料理の仕方にも光るものはないが、それが却って話題そのものの生々しさを目の前に突きつけてくるようでおもしろい。例えば昭和23年の2月には、東京駅のホームや車両内に浮浪児(おそらく戦災孤児だろう)がうろうろしていることを取り上げていたり、ホーム上から子どもにおしっこさせている親がしばしば見られることが取り上げられている。

昭和24年3月には「米国あたりの援助のおかげで、このごろはどうやら腹一ぱいとは行かなくてもそれ程の空腹は感じないで済むようになった」と書かれている一方で、1年後にはスキー列車の盛況を取り上げている。1年で市民生活が劇的に改善したというわけでもなく、昭和31年にはまだまだ職業的ヤミ米輸送組織が活動していることが記されている。

こういう出来事があったということをそれぞれ独立にトピックとしては知っていたけれど、一種の年代記として読むと「敗戦後の生活のあり方」が立体的に立ち上がってくるようだ。一つ一つの出来事が塊として置かれているのではなく、並列する帯のようになって、太くなったり細くなったり、途切れたり突然顔を出したりする。世の中って確かにそういうもんだよな。

あまり優れているとは言えない文章でも、こうして積み重ねていけば一つの年代記として歴史の地層を表すようになる。この日記も「なんか書けるから」という理由だけで始めて、なんらの目的も持たずに続けているけど、継続していけばいずれは「歴史」を織りなすようになるかも知れない。そういう希望を持って今日の日記を書く。

今日はね、えーと、1日本読んだり昼寝したりして、夜はカレーを食べに外に行った。俺がよく行くカレー屋はいつ行ってもほとんど客がいないのだが、店が流行ってないのか俺が行ってる時間帯がズレてるだけなのか、謎だ。このカレー屋は美味しいけど、近所に別にあるとんかつ屋は、いつ覗いても客がいない上、一度食べたら普通にマズかったので、何年も存在できている理由が謎。合言葉を言うと店の奥でスペシャルな商品を提供してくれるとかいうことでもないと説明がつかない。

はい、今日の日記は終わりです。

墨滴三十年

墨滴三十年

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