朝方、夢を2つ観たような気がするけど内容は覚えてない。「内容は覚えてないけど夢を2つ観た」ほど意味の無い記憶ってあるか? 何故生物進化の過程でこんな記憶が残ってしまうプロセスがオミットされなかったの?
進化心理学の話は一般書レベルで部分的にしか触ったことがないが、それしか読んでないと現状追認の後付説明を読まされてるだけとしか思えないんだよな。たぶん学者の間では研究や発表の手続きが整備されてるんだろうとは思うけど、それらの話が一般書レベルまで下りてくると単なる後出しになってしまう。
とにかく俺は進化心理学の権威をあまり認めたくない。だってどう考えても、俺が今朝「料理はしょっぱいし、アナウンスがうるさいから本もゆっくり読めないんだろうな」と思いながら朝ファーストフードに行き、思った通りしょっぱいしうるさいから1時間で帰ってきたりした、傍から見たら奇行としか言いようのない振る舞いを進化心理学は説明してくれそうにないから。人間という種の中心にいたいとは言わない。でも周縁部でもいいから、俺をせめて人間の範疇には入れておいてほしい。社会的な実力で言えば劣等に入ることは免れないから、人権というフィクションの力で何とか最低限の社会的地位を確保しておきたい。そのためには人間の範疇にはいなければならない。
さもなくば俺の隣人は「人のようで人ならざる、Excelシートをにらみつけながら時々奇声を上げる生き物」を隣家に住まわせていることになるぞ。それでもいいのか。俺が人でないなら大家に家賃を払う義務もないということだぞ。害獣として部屋で駆除されることになったとしても、この部屋は事故物件になるぞ(ただし人でないなら不動産取引における重要事項説明の対象となる心理的瑕疵には該当しない可能性がある)。俺はただこの部屋に住んでるだけで隣人と大家を人質にしてるんだ。わかったらその手に持った進化心理学を引っ込めろ。ゆっくりと床に置いて、俺から両手が見えるようにしたまま後ろに下がるんだ。そうそう、そういう動きは二足歩行の人間にしかできないもんな。
何かもうちょっと今日のことを書くつもりだったけど、朝方のことを書いただけで日記書くのに使う時間が終わってしまった。俺がこの文章を「日記」と称して公開するのにどのような宇宙的意味があるのだろうか。