それゆけ生産性ないマン

今日は1日中生産的な労働をしてしまったので日記に書くことがない。

インターネットには「生産性がある内容を書く派」と「生産性がない内容を書く派」の宗教対立があり、大抵の場合はインターネット人格1つにつき、どちらかの宗派への忠誠が求められる。俺は生産性がない内容を書く派につく必要がある。これは論理的必然だと俺は考えている。

もし万が一、この日記書くのに給料が出るようなことになったら、途端に激烈手抜きをするようになる。ChatGPTの丸写しとかね。最小のコストで最大の利益を得ることが最大の生産性の条件なんだから、利益が出てしまったらコストを最小化することが正解になるけれど、利益がゼロならどれだけ手間をかけても生産性はゼロだ。こんな日記に手間をかけて書いてインターネット上で公開するなんていう奇行の必然的帰結が「この日記から何の利益も得られないこと」なのであり、それはただちに前提条件でもありえる。

最初に「宗教対立」と書いた。「生産性がある内容を書く派」と「生産性がない内容を書く派」は認容する前提条件が異なるので、相手を平和的に説得することはできない。対立の解消には暴力をもってするしかない。「生産性あるパンチ」と「生産性ないパンチ」なら前者の方が絶対に強いが、生産性あるパンチで打ち砕かれた生産性ないマンの命の灯火が消えた時、生産性ないマンにわずかながら宿っていた生産性も立ち消えたことに気づき、生産性あるマンは自己の存在の矛盾を悟るのである。一寸のライフにも五分のワーク。「生産性がない内容を書く派」が勝つことは未来永劫ありえないが、同時に「生産性がある内容を書く派」が勝つこともありえない。残るのは荒野だ。そのことだけを今日は覚えて帰ってください。