神殺しの日記

トイレでうんこして手を洗わずに出ていくジジイを朝から見かけて厳しい気持ちになった。まぁそういうやつは数年に1回は見かけるが1、今回はしばらくしてから別の場所でまたそのジジイを見たので驚愕した。運命の再会だと、思いたくない!

世の理をあまねくコントロールする超越的唯一神がいたとして、唯一神が俺とそのジジイを何かしら結びつけようとしているなら、あまりにも厳しい。そんなら神なんかいないで欲しい。頼むから偶然だと思わせてくれ。2

世の理不尽に耐えられない人間が、その空隙を埋めるために「神」や「運命」という概念を立ち上げるものだと思っていたけど3、その逆パターンがあったことにびっくりする。そんなら俺は神殺し4として生きるよ。ビズリーチ5あたりで募集かかってないかな。6


  1. 筆者は男性であるため女性の例は知らない。女性もトイレの後で手を洗わずに出ていく人がいるのだろうか。そのような例を知っているなら是非、筆者には知らせないでほしい。これ以上トイレの後で手を洗わない人の実例を収集したくない。人が信じられなくなりそうだ。
  2. 本稿における「偶然」という概念も、後述する限定的存在の限定的認識では因果をたどりきれないだけのことであり、幻影に過ぎない、という立論ももちろんあり得るだろう。超越的唯一神からは「必然/偶然」という認識のフレーム自体が意味をなさないものになっているに違いない。本稿においては後述する「限定的存在」の次元と「超越的唯一神」の次元が説明なく切り替わっており、理解しづらいという批判は甘んじてお受けしたい。
  3. 人間の扱う「神」の概念はこの通りだと思っているが、それとは別に神(のようなもの)は存在しているかも知れない。限定的な存在でしかない人間が無限定な超越者を十分に想定できると考える方が理に叶わない。もちろん、俺の考えの及びもつかないところで俺とジジイの結び付きが価値あるものである可能性は十分に考えられるが(俺とジジイが組んで、いまだ復活が知られていないハーゴンを倒す旅に出なければならない等)、俺は限定的な存在としてその分を守っているに過ぎない。限定的存在が限定的存在としての分を守りながら無限定な超越者に敬意を抱くことは可能であるはずだ。
  4. 無論、この場合の「神」は人間が夢想する限定された概念としての神である。超越的唯一神を「殺す」という物言い自体が限定的存在としての生物のアナロジーに過ぎない。例えば地球単位の物質循環のことなどを考えれば、生物個体の「死」が超越的存在においては無数の流れの中の一点に過ぎないことが容易に想定できる。
  5. https://www.bizreach.jp/
  6. なお、筆者はトイレから出た後、きちんと手を洗ったことを付言しておく。