完全に自分のミスで、昼に天玉そばを食べたのに、夜に野菜天そばを食べてしまった。3食の内、2食がそばというのはトゥーマッチだから、夜は別のものを食べようとあれほど強く決意していたのに、労働が立て込んでてすっかり忘れてしまい、退勤後にうっかりそば屋に寄ってしまったのだ。食べ終わって電車に乗った後で気付いても後の祭り。取り返しのつかないミスであった。
念のために言っておくと、「今日そばを2連続で食べてしまったなら、明日うどんを2連続で食べでもすれば、十分取り返せるのでは?」と思う人がいるかも知れないが、それは大きな過ちだ。そう思ってしまった人は、数字と計量が実質以上の意味を持ってしまっている資本主義に毒されてると自覚し、深く反省してほしい。
確かに、継続的な取引がある企業相手なら、「次の出荷分で辻褄を合わせます」と言って許されることもあるかも知れない。しかし商取引の時空間とは、あくまでも仮想的に均質化された時空間に過ぎない。数日間、何事もなければ、明日の出荷を調整すれば辻褄が合うかも知れない。しかし今日突然、アメリカ大統領がサプライズ訪日して「マイスイートメモリーインジャパン。ジャパニーズソバ アンド ウドン イマスグ イート シタイ。シンゾー、シンゾー」と崩れ落ちながら泣き出したらどうするのか。1分1秒を争うスケジュールのアメリカ大統領に、「明日まで待ってもらえれば」などと、いったい誰が口に出して言えるのだろうか。もちろん俺に「罪」と言えるほど重い責任はなかったろう。しかし俺が余計に食べてしまったそばは、誰かが泣くほど食べたかった1食でなかったと、誰が保証できるのだろうか。
今日と明日とは常に交換可能で均質な24時間ではない。俺の人生だって均質ではないし、ましてや交換可能では絶対にない。俺のかけがえのない人生の、かけがえのない1日なのだ。たかが賃労働のために、かけがえのない人生の岐路で選択を誤ってしまった。俺が俺をないがしろにしている。残り少ない人生、こういうことは改めなくてはいけない。深く反省したい。