1週間ぐらい前にファミレスでトイレに行った時、トイレットペーパーが残り少なくなっていて、予備のペーパーも目に見えるところになかったので、店員さんにそのことを伝えなきゃ、と思ったまますっかり忘れてたことを突然思い出した。今日、突然。
忘れるなら完全に全くカケラも残さず忘れ切れよ。些末といえば些末な記憶だろうが。元々忘れっぽいのに最近ますますそれが加速してて認知のアレを疑ってるのに、そんな些末な記憶を引っ張り出して、俺の人生の何がどうなるんだよ。俺の脳よ。
ところで、「トイレットペーパーが少ないことに気付いたけど、それを言い忘れた」がために後の利用者に事故が起こった場合、これって俺に道義的責任が発生するのか? ペーパーの在庫が残り少なくなっていたことそのものには責任はないし、俺の前にトイレを使った人間は明らかにペーパーが減っていることに気づいていたはずなのだから、俺と同等の注意義務があったとは言えよう。しかしここで「俺に責任はなかった」と言ってしまうと、果たして電車でお年寄りや身体の不自由な方に席を譲らなくても道義的に問題がないと言っているのと同じことになってしまうのではないか?
電車の席の供給に上限があることについて俺に責任はないし、俺の隣に座っているやつも俺に次ぐ「席譲り道義的義務」があるとは言えよう。しかしだからといって俺に「お年寄りや身体の不自由な方に電車の席を譲る道義的義務はない」とは絶対に言いたくない。そんな世の中を作ることに加担したくない。俺はあえてこのワールドワイドウェブの開かれた言説空間ではっきりと宣言しておきたい。俺はファミレスのトイレでペーパーが少なくなっていることを店員さんに伝達する道義的義務を怠った! それ相応の償いをすべきである!
ところで、この場合は何をすれば「償い」をしたことになるんだろうか。今度そのファミレスに行った時に尻をふかずに帰ってくればいいのかな? それって償いになってるか? 何かまた別の道義的責任を踏み倒してることにならんかな?