本買いたいけど本買いたくない、山賊が来てほしい

今、神田神保町でやっている神田古本まつりに行きたいなぁという思いと、神田古本まつりに行きたくないなぁという思いが俺の中に同居している。

同居してるならお互い仲良くやってくれればいいのに、相手をいないものとして完全に無視している。無視し合って接触しないままバチバチと火花を散らし合っている。言わば末期の家庭内別居状態。しかも俺はこの2人と同居したいと主張したこともないし、同居することのメリットも何もない。ぼんやりとした欲求不満感だけが渦巻いている。美少女転がり込み系ラブコメの「美少女」と「ラブコメ」を取り除いたものと思ってもらいたい。完全に邪魔な感情だ。

「神田古本まつりに行きたいなぁ」という思いの方は、「生活に新しい風を吹き込みたいなぁ」と意訳できる。目的もなく本棚に向き合って、山の中から宝を引き当てるには、運も要るけど経験も要る。経験がなければ宝を宝と認識することさえできない。緻密なレンガ造りのように詰まった背表紙に神経を集中していると、多少の雑念は綺麗さっぱり吹き飛ばされてしまう。

一方「神田古本まつりに行きたくないなぁ」という思いは「新しい風を吹き込みたければ積んでる本を片付けろ」と意訳できる。俺の部屋には間違いなくおもしろいので買ってあるけど読んでない本が、城の石垣ぐらい積んである。新しい本が読みたいならその石垣を崩して未読の本を読み始めればいい。しかしこの場合の「新しい風を〜」とは、厳密には本のことを指しているのではなくて、「新しいブツを家に迎えたい」ということを言っている。本の中身を脳内に迎えたいということではない。もちろん新しければ何でも良い訳ではなく、中身の品質も保証されなくてはならないのだが、実際全然読み終わってないというファクトの前では何であれ言い訳に過ぎない。

基本的には後者の方が合理的であり、前者は欲望の発露に過ぎないので、後者が前者をねじ伏せて抑え込むのだが、欲望とは強く抑圧するほど却って力強く回帰してくるものだ。前者の欲望は俺の脳内に住み着く権利がないのに居座っていて、後者の理も仕方がないから対処療法的に駐屯している。これが「転がり込み」の状況を形作っている。

奴らに話は通じない。欲望と理とでは住んでる次元が違う。次元を超えた冷戦を集結させるには力を以てするしかない。外科手術か山賊だ。しかしさすがに「本を買いたいけど買いたくないから脳をいじって欲望を抹消する」は脳をいじる前から狂ってるとしか言いようがないから、残る希望は山賊が俺が不在の間に鍵を壊さずジェントルに侵入し、有無を言わさず本棚を平らげて、ブックオフ程度でいいから代金も置いていってくれることである。ここで古本屋の出張買取を利用しないのは、本が多すぎて部屋が汚いので常識人を部屋に入れたくないし、自分では売る本をなかなか選びきれないからだ。その点山賊が俺の不在時に勝手に入って持って行くなら、そんな苦悩は発生する余地がないし、やられた後ではあきらめる他ない。

俺に都合のいい美少女はこの先一生転がり込んでこなくて良い。お願いだから俺に都合のいい山賊に定期的に侵入してもらいたい。なお、俺は欲望と理とを区別して考える人間であり、欲望としては山賊に来てほしいと思っていても、理からすれば悪は許されないので、警察にも通報いたしますし、積極的に捜査にも協力いたします。その点もあらかじめご了承ください。