最近「イモを食いたい」と思うタイミングがちょいちょいあり、他人にはわからないと思うがこれは驚異的なことだ。
子供の頃はモソモソする食べ物全般が苦手だった。パンすらも苦手で、小学校の給食はパンとごはんが交互に出るので、2日に1回苦労していた。牛乳を飲むペースを誤ると大変苦しい。口腔内の水分が吸われるのだからこれは比喩でなく本当に苦しかった。
パンの美味さは大人になってだいぶ経ってから理解できるようになったのだが、ここ数年、労働中のおやつとして栗を食うようになった。コンビニで売ってるパックのむき栗だ。あのうすら甘いのと、モソモソする食感が良いんだよな……いや、今俺なんて言った!? モソモソするのが良いって!? 子供の頃の俺はどこに行っちまったんだよ、おい!! まぁそう言うなよ、人間はみんな大人になるんだよ。
そして今年ついに「イモ」だ。何か軽く入れておきたいな、と思ったときにイモのやわらかい甘みとボリューム感を想起している自分がいる。自分で自分が信じられないような気持ちになるが、落ち着けよ、自分なんて一番信じられない相手じゃないか。家を出るタイミングには全然平気な顔をしてたのに、いざ肝心な用事を前にして強烈な便意を見舞ってきたりするのが「自分」ってやつだろう。いい加減悟りたまえよ。
認識の変容への戸惑いもあって、自分にとってのモソモソした食べ物の良さはまだ整理しきれていないのだが、そんな分析より何より重要なのは、俺の「モソモソした食べ物リテラシーのなさ」だ。長年避けてきた対象だけに、どこでどうしたら自分の欲望を満足させられるのかがわからない。スーパーで焼き芋を売ってるのは知ってるけど、あれだと大きすぎる。俺は焼き芋赤ちゃんだから、市販の焼き芋1本はまだ食べ切れない。ちょっと遠くのスーパーにハーフサイズの焼き芋を売ってることには先日気付いたが、ちょっとした軽食のためにそこまで自転車を飛ばすのも面倒だ。俺が望むイモを手軽に入手するにはどうすればいいのかがわからない。
自分が食べたいタイプのイモもよくわからない。大きく分けて「ホクホク系」と「ネットリ系」があることまではわかったが、どっちが自分の好みなのかもわからない。「このイモは美味しい」と思っても、それがイモマトリクスのどこに配置されるのかがわからない。
俺は子供の頃から作文は得意だし、こんぐらいの日記を書くなら15分もあれば十分なぐらいだが、イモのこととなると語れることがほとんどない。言葉を奪われているのがこんなに苦しいことだなんて。表現できないことがこんなに悲しいことだなんて。俺は「学ぶこと」については謙虚であるつもりだったけど、道半ばとさえ言えないと思い知らされている今秋だ。