カフェに行ったら、フロアに響き渡るぐらいのデカい声で仕事のクレームを入れてるおじさんがいて、話の途中で2回ぐらい間違いなく「トランプ大統領が?」って言ってた。大統領にからむ仕事の話をそんなどデカい声でしゃべってるのはかなり不安になるし、逆にトランプ大統領と全然関係ない話なら、そんな隠語を必要とする話を公共空間で大声でしゃべってるということになるわけで、それはそれでこの人に仕事任せて大丈夫なのかと不安になる。
俺は常に耳栓を持ち歩いてるので、おじさんがデカい声でしゃべってること自体は別にどうでもいいんだけど、こっちが不安になる話をデカい声でしゃべるのはやめてほしいんだよな。俺はコーヒーが飲みたいわけじゃなくて、落ち着きたくてカフェに来てるんだからなぁ。
しかし、それで言うと俺も知らず知らず公共の場で他人に不安を振りまいたりしていないだろうか。先日、家を出る直前に耳から血が出たんだけど、絆創膏も貼りづらい位置だし急いでるしで、その内かさぶたになるだろうと血を出しっぱなしで電車乗って出かけてしまった。耳は視界にも入ってこないからそのまま忘れてしまって、帰って風呂入ったときにかさぶたになってるのにようやく気付いたぐらいなんだけど、途中でどれぐらい出血が目立ってたのかわからんな。平然とした顔で耳から血を流したおじさんが電車乗ってきたら結構不安になる気はするよな。
あと俺は本読むときにブックカバーを使わない人間なので、本のタイトルとかで人に不安を与えてる可能性はある。戦前・戦後の過激思想の本とか、宗教本を気軽に読むからな。先日読んだ『宇宙人と出会う前に読む本』はさすがにタイトルが不穏当だなと思って持ち歩かずに家で読むだけにした。ヒトラーの『我が闘争』とか持ってないしあんまり読もうという気も起こらないが、電車で読んでたらかなり周囲に不安を与えそうだよな。この人いい歳のおじさんなのに精神が中2なの? と思われそう。日本国では中学2年生には思想信条の自由が認められないという法慣習があるのです。
あとあと、不安というと最近ズボンのチャックを閉め忘れる頻度が高くなってる気がしていて不安だ。全然労働してる格好のおじさんがチャック全開で歩いてたら、すれ違う人はかなり不安になると思うけど、チャック全開は遅かれ早かれいずれ本人も気づくことになり、そこでジャックポットみたいに一気に不安が降り掛かってくる。「他人に多大な不安を与えたのではないか?」という不安が。
こうしてみると人間社会で生きていく中で、不安を与えたり与えられたりするのは仕方がないことなのかも知れない。「人」という字は、人と人が不安を与えあったストレスで出来た枝毛を指しています。
