荘子日記(3)

うかつに振る舞うと命が危なくなるような、酷薄な君主に仕えるとなったらどうすべきか? という問いに対する知者の答え。

あちらが乳飲み子のように駄々をこねるなら、君も一緒になって駄々をこね、あちらが無軌道を突っ走るなら、君も一緒になって突っ走り、あちらが放埒に耽るなら、君も一緒になって耽りたまえ。このように好き勝手にさせながら、過ち一つない境地に引き上げてやりなさい。

『荘子 全現代語訳(上)』池田知久訳

一般ピープルにおいても、「自分が無体を働くのは許すが、自分が無体をやられるのは許さない」て人はいっぱいいる。それぐらい自分の行動を客観視するのは難しい。ましてや宮殿で君主がわがまま言ってるのに対して自分もわがまま言い出したりしたら即座にぶっ殺されかねないのでは? という気がするが、俺が思い出したのは別の本に書かれていたことである。

多くの宗教儀礼において、同期は儀礼の一部として組み込まれている。例えば、白い衣装をまとった信者が回り続けるトルコのメヴレヴィー教団の舞踊セマーや、独特の掛け声とともに踊るバリ島の民族舞踊ケチャックダンス、さらには東本願寺の坂東曲などがその例として挙げられる。より身近な例としては、お盆に行われる盆踊りもまた、同期が用いられた儀礼の一つといえる。

(中略)

このような同期が集団にもたらす効果については、心理学的研究によって実証されている。例えば、同期によって、同期相手との類似感や好意度が高まることが指摘されている。また、同期することで、相手への信頼感が向上し、援助行動や協力行動の頻度が増加することも示されている。すなわち、同期は単に心理的な距離を縮めるだけでなく、実際の行動にも変容をもたらすことが明らかになっている。

藤井修平・中分遥・白岩祐子・荒川歩 編『宗教認知科学(CSR)ー認知・心理・進化の視点から宗教を読み解く』

重要なのは同期だとすると、君主が喋りだすわがままに合わせて同時にわがまま言うことか。あるいは文節ごとに繰り返すわがままの輪唱で信頼感が高まるのか。いや絶対ぶっ殺される気がするけど。自分がやられるのを想像するだけで頭くるけどな。

先日「セックス」ってブログに書き込んでて思ったが、セックスって好意度や信頼感を高める行為として一般に言われるけど、プレイヤーの動きがあまり同期していない。特に異性愛者の場合は、生体器官が対照でないので、どうしても動きを同期させることが難しい。セックスにまつわるあれこれがこんがらがりがちなのは、一つには動きの同期が欠けているからではないか。

ではセックスに取り込んでもあまり違和感のない動きとは何か? と色々考えてみたのだが、セックスの前後にプレイヤーが一緒にストレッチをするのはどうだろうか。やはり身体を使ったアクティビティであるからにはストレッチをしておくことは重要であろうし、決して無駄にはならないはずだ。

残念ながら俺はその機会に恵まれない側にいるので、自分でこのアイディアを試してみることがなかなか叶わないが、こうしてWebに載せて発信することで、これを読んだ俺ではない誰かが試してみてくれるかも知れない。万が一、このアイディアが人々の健康と和合に資するアイディアだったとなれば、俺の徳ポイントもガン上がりであり、「俺良し」「どこぞのカップルないし不特定多数の私的サークル良し」「世間良し」の三方良しというものだ。

知とは独占するものではなく、人々の間で活用されてこそ価値を発揮するものだ。俺のたどたどしい読書も無駄ではなく、つたないながらも知のネットワークが築ければ、幸甚の至りである。