それが人生

食べ物の好き嫌いが(あまり)ないのが自分の数少ない美徳だと思っていた。

まぁ好きな食べ物、苦手な食べ物の傾向はあるんだけど、「これは食べられない」というものはほとんどない。虫も食べるしパクチーも食べる。ココイチ3辛ぐらいまでは許容する。甘酸っぱいものが苦手なのでフルーツ一般だとか、甘酢和えとかは好んでは食べないが、出されれば食べられないということはない。

2年前ぐらいに博多に行ったとき、有名店の豚骨ラーメンが臭すぎて半分も食べられなかったときはショックを受けた。ラーメン自体への幻滅だとかラーメン代損したとかそんなことはどうでもよくて、大人になってから「これは食べられない」と思ったほとんど唯一の記憶だから。

それを除けば、おそらく一般に食べ物とされているものの中で食べられなさそうなのは、どこぞの国の王宮料理だったと思うが、子猿の頭骨を生きたまま開口して脳みそを食べるという料理ぐらいではないか。(俺の記憶違いで、そもそもこんな料理は存在しないかも知れないが、存在してたら怖すぎるので検索すらできない)

世俗にまみれて暮らし、なかなか有徳に生きられない人生をやってきてはいるけれど、食べ物に関しては生産者への感謝の心を忘れず、生産品を無駄にしない美徳が備わっていると思っていた。

しかし、最近うっすら気づき始めたけど、これって俺の味覚が雑なだけなのではないか。

よくよく考えると、嫌いな食べ物もあまりないけど、すごく好きな食べ物もあまりない。感覚が敏感な体質の人は、味覚も敏感なので偏食になりやすいという。子供が苦いものや辛いものを苦手とするのは、身体が若くて敏感だからとも考えられる。俺はコーヒーはブラックでがぶがぶ飲むし、毎日キムチ鍋を食っている。キムチ鍋の素の投入量は毎回目分量だが、一昨日作ったキムチ鍋と、今日作ったキムチ鍋の味の違いが気になったことがない。

あるいは飲食店で食べた物の記憶が薄い。グルメの知人に指摘されて気付いたけど、同じ物を毎回初めて注文したかのように頼んで、初めて味わったかのように味わっているという。(これは認知がアレしてる可能性もあるけどそっちは怖すぎるので味覚に関しての感覚が弱いということにしておきたい)

だいたい、それ以外、俺の人生の各時点で計測してきたコンパスがすべて「雑」を指していたのに、食生活だけが繊細なんてことあり得るか?

数少ない徳ポイントの稼ぎ頭であると思っていた資質が、「単に雑なだけ」で片付けられてしまうのはあまりに悲しい。しかしこだわりが少なければ生きやすくはあるかも知れない。

山岡士郎や海原雄山の生活は、高みは見られるかも知れないが、不自由で息苦しくはあるだろう。それに比べて低く垂れ込める淀んだ空気の中でも生きられると思えば、楽な生活ではある。

ザッツ・マイ・ライフ。