自転車を買い替えた。
電動アシスト自転車に乗っていたんだけど、バッテリーがダメになったのか、充電できなくなってしまったのだ。
おそらくバッテリーを買い換えればまだまだ乗れるとは思うんだけど、そもそも今住んでるところは平坦なので、電動アシストをほとんど必要としない。かといってアシストを切るとただただフレームが重たい自転車になってしまう。
充電の手間がかかってるだけなので、電動アシストのない、単なる自転車に買い替えたのだ。
電動アシスト自転車はバッテリーを支えるためにフレームが頑丈で、バッテリーを外してもずっしり重くなっているので、それに比べるとノーマルママチャリは羽のように軽いし、フレームも細い。その華奢なボディがとても心もとなく感じられる。
電動アシスト自転車の欠点だと思っていた重厚なフレームが取り去られた途端、不安に転じてしまっている。俺の基準のなさ、価値の核のなさが情けなく感じられてくる。
いやいやこれも慣れの問題だ、とにかくたくさん走って早く身体をこの自転車に慣れさせるのだと自らに言い聞かせて近所をぐるぐる走り回ったんだけど、走れば走るほど不安が募ってくる。
段差にぶつけたらサドルの所でバッキリ2つに折れて、前輪部と後輪部に分解してしまうんではなかろうかとか、ハンドルに体重をかけたらパスタみたいに3つに折れて、身体がつんのめってかつてハンドルだった三節棍の真ん中にメガネを叩きつけ、割れたレンズが眼球を切り刻んで史上初の複眼人間になってしまうのではないかとか、そもそもハンドルがちょっと左に傾いてて、真っ直ぐ走ってない気がするとか、脳みそはいくらでも根拠のない不安を作り出す。こういう時に脳の言うがままに任せてはいけない。技術は意識的な理解が無意識に変わる時に「習得」されるのだ。身体が自然に受け入れるように導くのだ。考えるな、感じるのだ。
ハンドルが傾いてるのは絶対おかしいので、明日もう1回自転車屋に行ってこようと思う。