俺は基本的にズボラな人間なのだが、それでも何とか独居生活が成り立っているのは、所々「恐怖」で自分を駆動させているからだ。
スマホでポチポチと家計簿をつける習慣が続いているのもその一つ。根本的に金の使い方が雑なので、「家計簿を付けないと、お前は苦しんで死ぬ」と自分自身に言い聞かせることで続けられている。だからスマホをなくしたり壊れた時に一番困るのは「家計簿がつけられないこと」だ。電話もメールもLINEもほっといて構わないが、家計簿がつけられないという状況は、背中に死神が迫ってきているのと同じことなのだ。もしもし、私、勘定奉行。あなたの後ろに立ってるの。
とはいえ、日常の出費はあまり細かく付けているわけでもない。金額と、家計簿アプリに元から備わっている支出カテゴリをちょちょっと選んで保存するだけ。たまに大きな出費をした時にメモを付けるぐらい。今回はそのメモに基づいて2025年を振り返ってみたい。
2月:部屋の賃貸借契約を更新して、更新料を支払った。
昨年10月ぐらいに賃貸管理会社から家賃値上げの申し入れがあったのだが、「社会勉強のためにここは一丁、揉めてみよう」と揉めてみることにした。ぼんやりした認識として、借家人は法的に割かし厚い保護を受けているのは知っていたからだ。
最初に送られてきた書面には一方的に家賃値上げの通知と「ご承知いただけましたら、申込書をお送りください」とだけ記載されており、承知しなかったので無視していた。すると12月頃に管理会社からショートメールで連絡が入り、「値上げに同意してくれ」「イヤです」の問答を続けた結果、相手方が折れ、元の家賃で継続することになった。
問答の具体的な内容に踏み込むと長くなるので書かないが、単にわからんちんの駄々をこねていたわけではなく、賃貸管理会社へ「あなたは俺の値上げ拒否に根拠がないとおっしゃいますが、あなたの値上げの根拠も御社のブラックボックスのシステムで割り出しているだけで、根拠を提示できていないでしょう?」ということを理路整然と主張した(電話交渉は一切拒否し、ショートメールでやりとりを続けた)つもりである。
借地借家法26条には、更新期限までに契約条件の変更に合意できず、更新できなかった場合、強制的に従前の条件で契約更新されるという借主保護の制度(法定更新)がある。法定更新後は契約期間の定めがなくなるため、貸主が一方的に損をこくことになる。賃貸管理会社はこの結末は避けたいはずで、そうなるとそもそもタイムリミット(2月頭)が近い、不利な状況で交渉をし始めていることになる。(俺みたいに揉めようと思ってない人間相手には、更新のタイミングで値上げを要請するのが通りやすいのかも知れないけど)
俺の見通しの上で最悪の結末は、訴訟提起されることだった。金額的にはペイしないはずだが、オーナーが覚悟を決めればあり得ないとも言えない。その場合は確定判決が出るまで粘って、時間的にも金額的にも相手方に最大限コストを支払わせてから、増額分を払いこめば良いと最初から決めていた。駄々をこねるべきは交渉の場ではない。法廷だ。
結果として、最初に書いた通り従前の条件で交渉は妥結し、更新契約書に署名し、更新料も支払った。家計簿上の出費としては予定から何も変わっていない。しかし手間はかけたので思い入れ深い契約更新となった。また、不動産投資というのも、俺みたいな借主がいるから、濡れ手に粟というわけにはいかないねと思い直した。今年は「みんなで大家さん」のトラブルなんかもニュースになりましたね。
なお、借地借家法は契約期間中でも、家賃変更の申し入れをしてよいという規定がある。賃貸管理会社があっさり折れた時、上で書いた法定更新のタイムリミットを回避するために一旦契約更新をしてから、後で再度値上げの申し入れをしてくるかと思っていたのだが、今に至るもその話はない。相手もサラリーマンだから喉元過ぎたものをわざわざ引っ張り出して揉めようとしないのだろう。
6月:自転車のサドルを盗まれたのでサドルを2本買ったが、最終的に廃棄処分した。
ファミレスで石田梅岩の『都鄙問答』の「私利私欲のためでなく、世のため人のために商売し、倹約するんじゃ」という道徳話を読んでから外に出たら、停めていた自分の自転車のサドルが盗まれていたので、さすがに笑ってしまった。
自転車は何も問題ない。サドルだけがない。中年男性の自転車のサドルだけを盗んだって、転売もできなかろうし大した得もなかろうから、愉快犯か憂さ晴らしだ。道徳という理想論を読んだ後で、愉快犯という現実に激突する。「冷水を浴びせられる」とは正にこのことだ。
自転車は押して帰り、翌日にネット通販でいい加減に選んだサドルを差し込んでみたら、シャフトの径が全然合わなかった。仕方ないので近所の自転車屋まで自転車を押していき、5千円払ってピッタリのサドルを購入した。この辺が俺の金遣いの雑さである。
その後、自転車のバッテリーが充電不可能になり、買って半年経たないサドルも含めて処分することにした。前に住んでいた場所は坂が多かったので電動アシストは便利だったのだが、今は平坦な場所に住んでいるので、電動アシスト機能は「充電がめんどくさいだけ」だったし、バッテリーを買い替える代金でパーフェクト人力自転車が買えてしまった。この辺は俺の金遣いの雑さに由来しない。様々な条件が噛み合った(引っ越し・サドル泥棒・バッテリーの経年劣化)ことからくる宿命である。
このエピソードに学べる教訓は何もない。人生はデコボコしていて、学びなんか無くとも時は過ぎていってしまう。
7月:Kindle 端末を買った。
スマホアプリとしてのKindleは昔から使っていたのだけど、現在のスマホの縦長ディスプレイとアプリの表示領域がイマイチ合っておらず、読みづらかった。これまで電子書籍リーダーの購入を検討したことがなかったのだが、ふと思って試しにKindleのエントリーモデルを買ってみることにした。
一つには、長編まとめ本の存在がある。紙の本だと何巻も続いているような本を、電書ストアでひとまとめの商品として売っているものがあって、セールの時などに読む予定もなかったのに買ってしまっているものがあったのだ。例えば角川ソフィア文庫の『仏教の思想』全12巻セット。
買ってから何年もかけて1巻の1/3ぐらいしか読んでなかったのだが、端末で最初から読み始めて、現在2巻までは読み切った。『荘子』の全訳も読み終えたし、今少しずつ取り組んでいる『旧約聖書』もKindle端末で読んでいる。紙の本と比べて一長一短はあるが、長い本=重い本が持ち運びやすく、電車の中でも読みやすくなるのは大きなアドバンテージである。
現在のライブラリの中で、読み進まない最後の牙城になるのは、おそらく池波正太郎『鬼平犯科帳』の全24巻合本版であろう。
別に文章が難解だとか気に食わないということではない。短編エピソードの歯切れが良すぎるのである。1本エピソードを読んでしまうとそれなりに満足して息をつき、別のことに手をつけてしまって次のエピソードに進まない。そんな感じで何年かけても1巻が読み終わらない。ここに北方謙三の中国史小説シリーズが入ってきたりすると一生読み終わらなくなる可能性がある。(まだセールにぶち当たってないので買ってない)
人生の残り時間は潤沢ではない。取捨選択をしなければならない。まさか電子書籍リーダーを買って、自分の人生を考え直すことになるとは思わなかった。
8月:パレスチナ寄付/9月:アフガニスタン寄付
俺は俺のような人間がのうのうと生き延びていることに耐え難くなった時にまとまった寄付をする。
そういう時はだいたい深夜、床についていてもなかなか寝付けない時だ。そういう時は人間一般の性向として精神が落ち込みがちのようである。経験としても「そういう気分の落ち込みは寝て起きたら治る」とわかっているのだが、負の思考のスパイラルは自分自身でなかなか制御しがたい。根拠がないからこそ論理で打ち倒せない。そういう時にいくらかでも贖罪意識を慰めるために寄付をする。
だから俺の寄付は決して褒められたものではないし、むしろ蔑まれても文句は言えない。正真正銘、真正面からの「偽善」である。むしろ道徳観から見れば「悪徳」と言われても仕方がないかも知れない。
家計簿を見ていて「パレスチナはわかるけど、アフガニスタンって何だっけ?」と思ったが、8月末に地震が起きたのだった。ほら見たことか。寄付した後、何が起きたかすらすっかり忘れ去ってしまってるのだ。出してすっきり。俺の寄付は社会的マスターベーションだ。
10月:たつき諒『私が見た未来 完全版』をあきらめて220円で買った。
これは家計簿にメモはしてなかったが、家計簿を読み直してる途中で思い出したこと。
「2025年7月に日本に大災害が起こる」という予言をしていると噂になった本。めちゃめちゃ売れてるらしいので、逆に7月を過ぎたらめちゃ安くブックオフで手に入るだろうと考え、最安の110円で出てこないかとしばらく待っていたのだが、なかなかそこまで下がらない。最終的に出先で立ち寄ったブックオフにあった220円のもので手を打つことにした。従って厳密に言えば本の代金に電車代がいくらか乗っていると言って良い。値下がりを待つ時間を金で払ったのである。払ういわれのない利子をこの本に払ったと言っても良い。俺の貧乏性が、俺の下世話精神に負けたのである。
本の内容について書くと更に長くなるのでここでは避けるが、予言の日=7月5日を過ぎた後、擁護者が「著者は7月に災害が起こるとは言ってない」という擁護をしているのを見かけたので、それは全く嘘だということだけは書いておきたい。オカルト的な内容に対する評価は別として、書いてあることを書いてないと言い張る擁護は絶対に良くないからだ。
2025年7月に起こる大津波の後の世界についてですが、私には、ものすごく輝かしい未来が見えています。
たつき諒『私が見た未来 完全版』あとがき
おわりに:私が見てない未来
普段、家計簿は毎月の出費合計とバランスを見てるだけなので、いちいち内容を振り返ったりしないのだが、ふと思って読み返してみたら、色々と思い出すことがあった。
本来俺は「◯◯年を振り返る」的な記事は、大晦日か、年を越して「◯◯年」が確定してから書くべきだという主義なのだが、この記事の内容についてはこの時期のリリースでよいと判断した。
何故なら、12月27日時点で予定していない印象的な出費が年内に発生するとしたら、災難に基づく出費に違いないからである。そんなことは考えたくないし、そんなことがあったらこの記事そのものが吹き飛ぶだろう。だからこの記事はこの時点でリリースすることにする。
俺よ、よいお年をお過ごしください。

