
特殊詐欺防止サービスの広告のキャッチコピーが「無料今すぐ申し込め」で、めちゃめちゃ詐欺広告っぽいなと思ってしまったのだが、しかし詐欺広告に引っかかりそうな人ほど使ったほうが良いサービスだろうから、全く正しい。
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「歳末たすけあい」って響きが好きだ。「たすけあい」って言うのが良いね。助け合って生きていきたいものだよ。と思うのだが、たすけあいの実態が募金ていうのがちょっと引っかかるんだよな。
俺の造概念(造語というほどではないがオリジナル定義の概念)として「スーパーマーケット感覚」というものがある。スーパーマーケットに並ぶ商品は、確かにお金を払えば自分の望むものが簡単に手に入るようだけれども、その棚は生産上、流通上の具体的な努力があってこそ実現している。その具体的努力は金で買えるようでありながら、微妙に買えないものだ。スーパーマーケット感覚はその具体的努力の存在を忘れ、不便を被ると文句を言うくせに「便利」を成り立たせる努力にコミットしようとしないような、いわばクレーマー気質のようなものを指している。便利な社会を成り立たせている具体的努力の存在を忘れてはならない。
需要もわからないし運送や処分の手間がかかる実物の寄付より、金銭の寄付は融通も効いて実際的というメリットは否定しない。しかしそのメリットと一緒に、その背後から、意識の中に少しだけスーパーマーケット感覚が刷り込まれていると思う。スーパーマーケット感覚は「たすけあい」からは遠いものだ。
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久しぶりにカラオケ行ったら、背景動画で「人にぶつかられて散らばった荷物をイケメンが拾ってくれて、恋の予感!」みたいなのが流れてて、まぁベタのベタを行くカラオケ背景動画にアレコレ言っても仕方ないのだが、「荷物を拾ってくれて恋の予感」みたいなのを無闇にまき散らすのってあんまり良いことではないよなと思ってしまう。
だって、俺、道端で荷物を散らばしてる人に遭遇したら、相手がおっさんだろうが幼児だろうが妙齢の女性だろうが、別け隔てなく集めるのを手伝いたいと思うし、そういうことが当たり前の社会が良い社会だと思ってるから。そんなことにいちいち情感を乗っけてほしくないし、その程度の話がいちいちイベントになってしまう世の中は絶対に良くない。俺たちはどうせちっぽけな存在なんだ。当たり前に助け合え。
だいたい俺は「ときめき」みたいなのが嫌いなんだよな。俺の人生の目標が「凪」だからというのもあるが、ときめきってのは心理的セキュリティホールそのものだ。完璧な人間はいないし、完璧でないのが人間の人間味であるということにも同意するが、しかし手放しでほめられる観念では決してないのに、野放しにされている。儲け話にときめくことも、愛の予感にときめくことも、詐欺師の常套手段だということは周知の事実だ。モノやコトにときめくな。オイルタイマーの軌跡などをじっと見て、寝ろ。