連休前夜日記

賃労働において、昨年末ぐらいから負荷が高い状態が続いていたのだが、急に先が開けて楽になってきた。今年度分のタスクはほとんど片付けてしまった。やろうと思えば3月末まで有給休暇をぶち込んで一切労働しないということもできなくはない。でもやらない。俺の背後で控えてる未来の俺が「4月以降の仕込みをしろ」とテレパシーで圧迫を加えてくる。何故なら俺も社会の歯車に過ぎないから。「社会人」というものが何なのか全くわからないまま、社会の歯車になってしまった。

とはいえ久しぶりに賃労働のことを考えずに休める連休に突入する。秀吉は一晩で城を建てたんだから、俺ぐらいの凡才でも3日あれば大抵のことはできるだろう。明智光秀は三日天下と呼ばれて無惨な最期を迎えたんが。

光秀の故事に怯えたわけではないが、しかし何となく何にも手が伸びない。積んでる本も積んでるゲームもあるけど何となく手に取る気が起こらない。出かけるにしても花粉の飛散のことを思うと億劫になる。

「やりたいこと」をやるモードに脳が切り替わってくれないなら、「やらなければならないけど手が付けられてないこと」をやるというモードならどうか。これなら賃労働とも近似してるだろう。そういう目線で自室を見回してみると、「本棚の耐震性強化」が浮かぶ。今までの気休めみたいな対策に心もとなさを覚えてから、年単位の時間が経っているが、まだ手を付けられていない。モタモタしている内に本棚はとっくに満載になっていて、その前の床に入り切らない本が山と積まれている。耐震強化グッズを買ってきても、この床に積んだ本の山を何とかしなければ、取り付けることができない。こうやってタスクを積み残している内にその前提となるタスクが積まれてきて、どんどん面倒になって余計に気持ちが遠のいていく。

てぇかさ、本棚と別にこれだけ本を積んでるなら、本棚の耐震強化しようがしまいがこの本の山が崩れるんだし、やってもやんなくても同じなんじゃね? 大宇宙規模から考えたらこの程度の差は誤差とも言われないんじゃね? 元より読みきれないほどの本を抱えて無為に生きてることの愚かしさに1滴の賢しらな小手先の技を加えてみたところで、諸行の無常に抗うことなどできないんじゃね? 「形あるものはいつか壊れる」とは本棚と本の山のことを言ってるんじゃね?

と、ほとんど無常の悟りに近づいてしまったので、何もしていないのに安らかな気持ちで床につくことができた。言わずと知れた禅僧・一休宗純も、(史実ではないとされているが、民間伝承において)こう言ったと伝えられている。

「あわてない、あわてない。一休み、一休み」